日本料理屋でのアルバイトの思い出

外国に長いこと住んでいて、日本料理屋でアルバイトをしていた時期があった。就職できなくて食いつめていたころのこと。時給7ユーロくらいで、チップはコックと折半だった。普通は接客をするウェイトレスとウェイターだけがチップをもらうものだが、店主はコックの給料をけちって不足分を接客のチップで補填していた。

そしてチップも細かく計算させられ、不足が出ると給料からさっぴかれた。店主の妻が接客をした時に不足が出ると、チップが少ないことにして帳尻を合わせていた。しかし私たちに不足が出たら補填させられる。

レジを通すのではなく、一人一人財布を持たされて現金をその場でやりとりしなくてはならないので、必然的にミスは出た。計算より余りが多いときは、店主に余剰分を没収される。

他の人間はこのシステムに何の疑問も持たずに従っていたが、私には納得がいかなかった。だからそのうち計算を間違えたことに気づいたら、最後の〆の前にチップの金額を調整し、多いときには没収されないように、少ないときも自分の懐が痛まないように自衛していた。

他に現金収入のあてがなかったから仕方なくそこで働いていたが、搾取されているなーと毎日思っていた。こき使われていた者は日本人だけではなく、バングラデシュ人もいた。バングラデシュ人は2人いて、2人とも国籍取得のために現地女性と偽装結婚をしていた。不思議なことに2人ともそれを隠したりせず、周囲に普通に話していた。

彼らは国籍取得のために知らない現地女性とペーパー結婚をして、(偽装)結婚費用の数百万円だかなんだかを分割払いしながら、一日12、13時間働き、月給は額面で1,250ユーロくらいを稼いでいた。日本円にして15万円いかないくらいのものである。あちらは税金が高いので、手取りだったら10万円ちょっとしか残らないような感じだったかもしれない。そこから結婚費用の分割分を捻出てきていたのだろうか? 現地語をマスターしていない彼らができる仕事は皿洗いとか調理補助や肉体労働しかない。店主はそこを理解して彼らをギリギリの給料で働かせていた。

賄いが出たので、それで食費は多少浮いただろうが、それでも生活はきちきちだっただろうと思う。彼らはうどんが嫌いで、うどんが賄いにでると怒った。逆に豚肉はあまり気にしないで食べていたような気がする。

そのレストランは週に6日オープンしていたので、バングラデシュ人とコックは週休一日だった。コックは若い日本人だったのだが、いつもイライラして誰かれかまわず暴言を吐いていた。今思うと、彼も搾取されていたのでそのストレスを消化しきれなかったのだろう。

特に当たられていたのが皿洗いのバングラデシュ人で、もう一人はカウンターに出ていたのでコックとそこまで接触はなかった。コックは皿洗い氏に日本語でバカだの死ねだのと罵り、日本語を理解しない皿洗い氏もニュアンスはわかるのでコックに反感を抱いていた。店主は陰気で覇気のない男で、自らカウンターに立っていて厨房の様子はほぼ全て把握していた。しかしことなかれ主義なのでそこに介入はしなかった。

そんな中、事件が起きた。
ある忙しい土曜日の昼に、いつもの暴言で皿洗い氏が突然キレたのだ。厨房で包丁を掴んで泣きながらコックに切りかかった。注文を通そうと思って厨房に入った私はそれを見て腰を抜かしそうになった。

注文どころではないのでそっとカウンターに戻り、私とその日ペアで接客していたしんさんという男性に声をかけて厨房に入ってもらった。その時までには喧嘩がヒートアップしてこのやろうとかふざけんなとかいう怒鳴り声が聞こえてくるようになった。店は満員で賑やかなので、怒鳴り声も喧騒に紛れて客には聞こえていない。

くそ忙しい中の緊急事態であった。すぐに店主ともう一人のバングラデシュ人も厨房にジョインし、ヘイヘイとか言いながら男4人が皿洗い氏を囲み、宥めようと必死になっていた。皿洗い氏が包丁を振り回すので誰も近づけない。が、彼もそこまで本気で誰かを殺そうとか傷つけようとか思っていたわけではないらしく、そのうち素直に包丁を渡した。

そこで喫緊の問題は解決したので各自持ち場に戻り粛々と自分の仕事を終わらせてその日は終わった。客はこの騒動に気づかなかったのだが、唯一厨房が見える位置に座っていたアジア人女性が一人で固まっていたのが印象的だった。そりゃびっくりするよね。

店じまい後、店主は自分で皿洗い氏に説教できないので、妻を呼び出して何事か話をさせていた。でも軽い注意で終わりだったのだろう。皿洗い氏が警察に通報されることはなく、その日の給料も多分普通にもらって、その後もそこで働き続けた。その夜も彼は普通に働いていた。コックが暴言を注意されることもなかった。喧嘩両成敗の逆。

私はちゃんとした就職先が見つかったのでしばらくしてそこを辞めた。その後夫に知り合って2人でよく日本料理を食べに行くようになったが、そのレストランには絶対に行かなかった。

最近そのレストランを探したらなくなっていて、友達に尋ねたら店主が年金生活に入るので店じまいしたそうだ。なんだ、つぶれたんじゃないのかと思ったのと同時にこのエピソードを思い出した。

みんな顔は思い出せるのだが、名前がぜんぜん出てこない。もう15年くらい前の話である。

1年半ほど前に会社が引っ越しして、その時に取引先から胡蝶蘭が何鉢も贈られた。花が終わったあとの始末に困り、全て私が持ち帰った。

蘭の育て方をネットで調べて全て植え替えて、水のやり過ぎにだけ気をつけて時々肥料をやっていたら今花芽がどんどん出て来て、蘭ラッシュになりそうである。

蘭はけっこう丈夫で、最初の鉢に入った状態のままで置いておいても、条件がある程度よければしばらくは花をつける。でも贈答用の蘭は外側の鉢こそ立派なものの、蘭そのものはビニールの鉢(ポリポットというらしい)に入って根っこの通気性が悪いし、更に底には発泡スチロールが入っていたりして、けっこう可哀想な状態にある。よいのは見た目だけ。

だから素焼きの鉢に植え替えたほうがよろしい。でも植え替えの時に根っこを痛めたり、切りすぎたりして株が弱ってしまった蘭は葉っぱが細くて貧弱になる。回復してくると、分厚くて楕円形の力強い葉っぱがはえてくる。

会社によっては、蘭を最初の状態のままとっておいて、水や肥料を適当にやり、花を咲かせているところもある。でもそういう蘭は花芽がひょろひょろに細く、葉の色つやも悪く、最後の力を振り絞って花をつけている感じである。

そういう蘭を置いている会社は多分あまり元気がない。惰性経営か、過去の貯金を食い潰しているだけなので。

根拠は、従業員の最低一人が簡単な蘭の育て方すら何年も調べずにそのままにして、鉢の中も確認しないから。一見気が利くようでいて、実は表面的な仕事しかしていない人がいるということである。そして上司だか経営者もそれに気づかす、あるいは注意できず、そのままにしている。そういうある種のなあなあさが蘭の状態に表れている。逆に言えば、そういう会社は将来性や潜在力はあまりないかもしれないが、ゆるくて適当に仕事をすれば給料をもらい続けられる職場である可能性が高い。

f:id:SUGIKO:20210207130620j:plain

英語の学習法

英語の勉強方法なんて山ほどあるんだろうと思うが、私は一番シンプルに勉強した。基礎は学校教育で身に付け、あとは多読と映画視聴だけである。リスニングとスピーキングが不要なら、多読だけでよい。

単語を別個に覚えたりはしない。本を読みながら辞書をひいて意味を調べて、忘れたらまた調べる。ひたすらそれを繰り返すだけ。

文章が複雑で意味が理解できなかったらそこは飛ばしていい。多読を続ければそのうちわかるようになるから。

言語をマスターするには、凡人はある程度量をこなさないと身につかないと思う。だからわかってもわからなくても読み続けるしかない。読めば書けるようになるし、書けば実践力が身につく。

今はレベルの高い雑誌や新聞をネットでいくらでも購読できるので、元手をそれほどかけなくても英語の勉強ができる。私のお薦めはNew York Times。無料で10件くらいまで記事が毎月無料で読めるし、有料購読でも一月1,000円くらいである。Netflixの新シリーズの批評から最新のアメリカの政治から、科学、教育、ファッションなど、幅広いテーマの記事がいくらでも読める。しかも内容にもよるが、比較的平易な英語で書かれているものが多いので読みやすい。

以前は記事一本から有料で読めたりしたが、今もそういうサービスがあるのかどうかは不明。しかしNYTが世界のメディアのなかで今一番ウェブ展開で成功しているのは、そういう使い勝手のよさがあるからだろう。それにくらべて日本の新聞は値段が高すぎだという気がしてならない。

閑話休題
私は英語の他にあと一ヶ国語話せるが、どちらも学習法は同じである。読んで頭のなかにその言葉の回路を作っていく。更にテレビや映画を見てその回路を別の方面からも強化して、同時に少しずつ話す練習をすればよい。

逆に言えば、留学したって地道に努力しなければ語学は身につかない。だから語学を身につけるのに留学はマストではないと思う。

多読以外に語学をある程度のレベルまで引き上げる道はないと思う。更にいえば、母国語の基礎がないと外国語の習得は難しい。母国語以上に外国語のレベルが上がることはないから。だから幼児の英語教育は不要。中学からゆるゆる勉強してそれなりの努力をすれば英語なんて十分身につく。ネイティブ並みの発音で英語を話しても、内容が伴わないと意味がないわけで、ジャパニーズ訛りの英語をきちんと話せればそれでよいと思う。

それには、英語と並行して日本語も多読しないとダメである。最近の英語教育ではそこが忘れられていると思う。

ニコチン中毒

アメリカの映画やドラマに出てくるAA(アルコール中毒者の自助組織)風に自己紹介すると、「Hi, my name is Sugiko and I am nicotine addict (私の名前はスギコ、そしてニコチン中毒です)」っていう感じである。

しかし私はごく軽度の中毒者なので、去年は3箱くらいしか吸っていない。今年はまだ1本も吸っていない。でもイライラすると心の底からニコチンを摂取したくなる。ニコチンの何がいいかというと、タバコの煙を吸うことでニコチンその他の化学物質が一瞬で脳に回って、脳がしんなりする感じがよいのである。ものすごい快感というわけではないが、一瞬じんわり麻痺する感じが気持ちがよい。ただ、毎回その気持ちよさが得られるわけでもないので、そこが難しい。時々たまに吸うと、脳がニコチンに反応してふんわりする。

ここでは主観的にニコチンが脳に影響するさまを描写しているだけだが、ニコチンを何らかの違法薬物と置き換えても違和感なく読めてしまうであろう。

それもそのはず、現在の脳科学の知見によると、アルコールでも薬物でもギャンブルでもセックスでも、脳の中に一度それに起因するドーパミン快楽の回路ができちゃうと、一生そのままなのである。だから中毒の対象が何であれ、脳で起きていることは同じらしい。

よってニコチンに懲りた私はそれ以外の中毒性の高いものは(アルコールと砂糖を除いて)避けるようにしている。一番危なそうなのはスマホのゲームとパチンコ。絶対やらない。あれにはまったら日常生活が崩壊しそうでガードを上げている。テトリスですら避けている。

いずれにせよストレスを感じると、ニコチンがもたらすふんわり感を求めてしまう。しかし忙しくてタバコを吸いたかったことすら忘れてしまうので、幸か不幸か今年はまだ実際に吸うまでには至っていない。

あと、私は必要な時に1本のタバコを吸いたいのだが、一箱、20本買わなければいけない現在の日本のタバコ販売システムに困惑している。1本100円でいいからバラ売りするわけにはいかないのだろうか? 20本買っても、吸いたいのは最初の1本だけなのである。だから1本吸って残りは喫煙所に置いて帰ったりする。ハリウッド版のドラゴンタトゥーの女ダニエル・クレイグが同じようなことをしていた。喫煙しつつ基本的に禁煙を続けるのはかなりの努力を要するものなのである。そんなことなら全面禁煙したほうが楽じゃんとよく言われるが、一応これでも中毒なのでいったん覚えた快楽を手放す気にはならない。

嫌煙家の人々はニコチンがこのように脳に作用することを知らないからタバコを毛嫌いするのであろう。ニコチン中毒にならずにすんで大変ラッキーなことである。私なんて、今や遭遇頻度が大きく減ったが、道でタバコを吸っている人がいたら必ず深呼吸して副流煙を味わうようにしている。

一度中毒になったら一生中毒。軽度のニコチン中毒でこの程度である。違法薬物で中毒になったらそのあとクリーンでいるのがどれだけ大変なのか、ちょっと想像がつかない。

健康診断結果とふりかえり

おおむね結果はよかった。
婦人科系疾患もなし。
去年9,200あって心配だった白血球も正常値に戻った。
心拍数は47。低い。スポーツ心臓なのか、徐脈なのかは知らない。一応正常の範囲内らしい。
オプションでつけた骨密度は正常値の127%だとのことで、これも安心。去年の110%から進化した。

胃はポリープあるけど、胃カメラでゲロゲロしたので詳細不明。胃痛ないからいいわ。

ただ、ヘモグロビンA1Cが5.6%で、更に尿潜血と尿蛋白も僅かに認められたとのこと。そしてクレアチニンが0.74で去年の0.72から悪化しているので、腎臓病と糖尿病を併発している気がしてきた。(でも空腹時血糖は91。)

週末にドカ食いしてるのが絶対によくない。平日少なめに抑えて週末にたがを外すみたいなことを繰り返しているし、ポテトチップスをよく食べて塩分過多だし、去年からぬか漬け始めて毎日弁当に漬物入れてるから、腎臓を酷使したんだと思う。ウェブで調べても軽度の腎臓機能の低下ってなる。いつも頻尿なのもそのせいかも。

とりあえずなるべく塩分を控えよう。塩好きだけど。漬物もきゅうりを2日に一本に減らします。

パニッシャー(シーズン2)

最初のうちはぐちゃぐちゃして何だかよくわからなかったのだが、焦点がはっきりするにつれてシーズン1以上におもしろくなってきた。

ルッソはフランクの凄まじい制裁を生き延びたのだが、記憶を失っているという設定でシーズン2が始まる。他方でフランクは通りがかりのバーで若い女の子のトラブルに巻き込まれる。

まずルッソはルッソだった。マスクをかぶったルッソが替え玉ということはなかった。ただ、マスクがルッソの過去と現在を分ける小道具としてうまく機能していたように思う。

シーズン1のルッソは社会的な仮面をかぶって生きていた。ハンサムで高級スーツを着こなし、政府とのコネクションをいかして会社を経営し、高い車を乗り回して欲しい女は手に入れる。でも自分を偽り、周囲の人間を裏切ることで地位と財産を守っていた。自分が築き上げたものを守るのに必死だったし、そのためには親友もその家族も犠牲にすることを厭わなかった。最後は嘘がばれて、ルッソに家族を犠牲にされたフランクと対決し、顔をぐちゃぐちゃにされた上、頭を滅多打ちにされて終わる。

でもシーズン2でハンサムな顔が大して損なわれていなかったのでよかった。本当ならキャプテン・アメリカのブロック・ラムロウくらいの面相になるはずなんだけど、そこはまあいい。

ただ、ルッソは記憶を失っているので、自分が何でそんなことになっているのか理解できずに苛立っている。素の自分に戻り、財産や地位どころか記憶も失ってちんけな犯罪者に成り下がったルッソはシーズン最初のうちはマスクをつけた姿でしか登場しない。そこで社会的なペルソナを失ったルッソが実際の生活でマスクをかぶり続けるという逆転現象が起きている。またそこでは、記憶すらなくして無になったルッソには、顔もないという象徴的な意味がこめられているような気もする。

そのルッソが脱走して自由を得て、同じく反社会的な元軍人たちとつるんで強盗を始める。元々統率力はあるからみんな従う。そこで本来の自分自身を取り戻し、それによってマスクをかぶる場面が次第に減っていく。

マスクを多用した最近のドラマにはペーパーハウスがある。でも当然のことながら、本作とはマスクにこめられた意味合いが全然違う。

もうこうなると主人公はフランクじゃなくてルッソですよ。シーズン1では薄っぺらい色男だったのに、過去を失っただけではなく、親友と信じるフランクに裏切られたと思って絶望を感じ、復讐に転じるまでの演技がすさまじい。ジョーカーのホアキン・フェニックスを越えてるのよ。ジョーカー見てないけど。

フランクとマダニのルッソに対する憎しみが強ければ強いほど、その対象となるルッソ自身のキャラクターがきちんと描かれていないと尻すぼみになってしまうところなのだが、ルッソの存在感がすごい。ルッソの複雑さと彼が受けた傷の深さによって、パニッシャーのシーズン2が1より重厚になり、フランクをはじめとする登場人物のありようにも深みが出ている。

精神科医で後でかくまってくれるクリスタ・デュモンとルッソのセックスも、シーズン1のマダニとのセックスとはぜんぜん違う。彼女もトラウマを抱えていて、そんな彼女とルッソのセックスには2人の混乱と心の傷の深さと、それゆえに相手とつながろうとする絶望と希望が感じられる。マダニとルッソのセックスはお互いに騙しあいながらも体を重ねて快楽を得ようとするカジュアルなものだったのだが、クリスタとルッソの関係は深くなればなるほど痛々しい。

そして当然の帰結として破局が訪れる。ルッソがフランクへの憎しみを手放して新たなスタートを切ろうとしたところで、希望が粉々に砕かれる。やかんのシューシューいう音が印象的なシーンで、これでシーズン1の屈辱を晴らしたマダニはすっきりした顔をするが、ルッソはまた憎しみに捉えられ、復讐の連鎖は誰かが死ぬまで、いや、死んでも続くという虚しさと後味の悪さが残る。

でもルッソは悪いやつなの? 自分の過去を憶えていない人間と、そいつに家族を殺された被害者と、どうやって決着をつけるべきなのかという哲学的な問いが根底に流れるシーズン2であった。

サブストーリーのエイミーのほうは、フランクと疑似親子関係を形成し、フランクにちょっぴりユーモアと優しさを生じさせ、過去から立ち直るきっかけを与えた。フランクのお尻から銃弾を取り出すくだりとかよかったよね。「私が女の子のだから縫い物できるはずとか言うわけ?」って、そういうクリティカルな場面でジェンダー論を持ち出せるような人間に私もなりたいと思った。

ルッソの話だけだと話が単純すぎてしまうからサブストーリーをからめたのだろう。シーズン1には謎解きがあったけど、2はそういう要素がないから。ジョンのサイドストーリーとか本編にそこまでからまないと思うんだけど、最後は手堅くまとめた感じ。ここまでまとまっていると、続編を作るのは難しそう。

暗い話だけど、自己愛性人格障害的異常者ルッソに心を鷲掴みにされたシリーズだった。多分私自身にルッソと似通った部分があるからここまで共鳴したのだろう。しかし何がどう似ているのかという点についてまでは考察したくない。

胃カメラ

人間ドックした。
胃カメラものんだ。胃カメラは苦しいけれど、麻酔されて意識朦朧はイヤなので、去年も今年も我慢してシラフで挑んだ。

私の中で胃カメラは、体が苦しくて暴れだしそうなパニック寸前なのを意思のちからで抑えてじっと耐えるという一種の修行的位置付けにある検査で、我慢を目的とすることでやり過ごすみたいな七転八倒な主客転倒が生じている。

今年もまた2年連続で鼻水と涙とヨダレだらけになってゲロゲロしながら我慢したのに、技師から胃に空気を入れても入れてもゲップで出されたから大したことわからんよと言われて終わり。胃カメラというのはどうやらカメラの先から胃に空気を送り込んで胃の内部をのしわを平らにして、病変がないかどうかを見る検査らしいということを2年かかってようやく認識した。

そんなこと去年言われなかったし、そもそもゲップ禁止なら先に教えてYO!! 苦しいからとにかくゲップしてたわ。

病院というのは責任回避のための説明はいくらでもするのに(稀だけど胃カメラで胃に穴が開くことがあるから、その時は頑張って自分の保険で治そうね! とか)、胃カメラでゲップを我慢することすら事前に教えてくれないという事実に愕然とした。0.005%の偶発症発生率を口頭でわざわざ説明して患者に説明書にサインさせて、発生率ほぼ100%のゲップに言及しないっておかしいでしょ。

2年連続で黒星した気分。私のだめさ加減に呆れた技師に来年は鎮痛剤点滴せよと言われたが、イヤなものはイヤ。つーか、ゲップダメなら言えよ。とりあえずこの一年はゲップを我慢するイメージトレーニングをして来年の胃カメラに備えたい。

胃癌や胃潰瘍があれば、遅くともその時には判明するであろう。