デス・ゾーン

2020年の開高健ノンフィクション賞受賞作ということで、読んでみた。河野啓氏の著作で、2018年にエベレストで亡くなった登山家の栗城史多氏の半生を描いた作品。

栗城氏は単独無酸素でエベレスト登頂を8回目指してことごとく失敗し、両手の指9本を失い、最後は登頂が不可能な難ルートで頂上を目指して滑落死した人。ある種の魅力をもった人だったようで、上手にスポンサーを見つけて資金を集めながら海外の山に登っていたらしい。

私も登山文学は好きなので、ジョン・クラカウワーの『空へ』(原題の『Into thin Air』を空と訳すのはどうかと毎回思うが)とか、『クライマーズ・ハイ』とか『マークスの山』とか、色々読んだ時期があった。『神々の山嶺』ももちろん読んだ。でもテレビ見ないし、栗城氏のことは2018年に亡くなったというニュースを見るまで何も知らなかった。その時に少しネットで栗城氏について読んで、そのあとまた忘れていた。

そしたら今回本が出たというので読んでみた。著者は丹念に情報を拾い集めてつなぎ合わせ、栗城氏の虚飾を剥ぎ取ってあるがままの人物を浮かび上がらせることに成功している。それと同時に、SNSやメディアを通じて拡大された理想像が独り歩きし、ファンやアンチの希望や憎しみを本人が受け止めきれずに破綻していく過程も描いている。

少し距離をおいて考えてみると、栗城氏をめぐるあれこれは現代病理の実例のようにも見える。

著者自身が栗城氏に何度も不誠実な対応をされて一度は関係を絶ち、数年後に訃報を知った後で取材をまた始めたということで、氏に対して魅力と不信感という相反する気持ちを持つところから取材が始まったようである。しかし本を書き終えたあとは栗城氏を一人の人間として理解し、その矛盾も含めて受け入れることができたというようなことが後書きに書いてある。

が、個人的にはウヘエと思いながら読んだ。この結末は起きるべくして起きたとしか思えない。事前に何人もの専門家が警鐘を鳴らしていて、周囲の人間も止めたのに実質的に登頂不可能なルートで体調不良のままエベレスト登山を開始。結局登頂を断念して下山途中で滑落死した。経過を知っても同情しがたい後味の悪さが残る話である。

著者が何度も指摘しているように、そもそも栗城氏が山に登る動機が曖昧である。普通の登山家のように山が好きだから登り続けるのではなく、不可能を可能にできることを世間に知らしめ、人々に希望を与えたいというよくわからない建前がそこにある。何かを実現して結果的にそれが世間の人々の称賛や評価を得るなら理解できるが、自分で実現不可能なゴールを掲げて世間の耳目を集め、資金を募ってエベレストに挑戦するというのはそもそも順番が違うのではないか。そのため失敗を続けながらエベレストに挑戦し続ける栗城氏に何の共感を感じることもできなかった。

総括すると栗城氏はSNSやメディアを通じて風呂敷を広げすぎて畳めなくなり、混乱して自爆してしまったとしか思えない。ただ、それが個人の責任と言えるのか、彼をアイコンとして祭り上げて囃し立てた有象無象が悪いのか、あるいは現代のIT社会においてたまたま生じた悲劇なのか、その評価は後世に譲るべきだろう。本書は数ある悲劇のひとつとしてすぐに忘れられていくはずだった栗城氏の生き方と死に方を丹念に追い、単なる読み物としてだけではなく、栗城氏の死を敷衍してSNSやメディアのありかたや更には我々一人一人の捉え方にまでも問いを投げかけているように思える。