上司ズの思い出

親と何とかは選べないと言いますからね。
私の上司運はかなり低い。よかったのは一番最初に一番長く勤めた(と言ってもたったの4年ちょっと!)職場の上司2人。でも優秀な公務員が上司だったので当然かも。そこでも変な人たちはたくさんいた。おととしくらいには当時の上司の上司が公金横領で逮捕されていた。あれは内部通報でやられたんだと思う。えらいはぶりがよかったし、昼間から酒飲んだりやりたい放題だった。

で、日本に戻って某欧州政府の外郭団体みたいなところに就職したら、そこの上司(メルケル氏と同じ国の出身の女性)がすごかった。前任者が2ヶ月で辞めたところを私は10か月粘ったがギブアップ。

何がすごいってマイクロマネジメントなくせしてアバウトな指示出し! どうしたらいいか判断を仰ぐと「そんなこと私に訊くな!」と怒る。怖いから何も訊けずに自分の裁量で進めると「ちがーう」と怒られる。そのくせ仕事は簡単でつまらないもんばっかり。

そして常にケチ。政府の金を無駄遣いするなという名目のモラハラが恒常的で、電車賃130円のために30分説教されたときはたまげた。自分は一駅でもタクシーなのに……。ものすごい台風の日も、大震災のときも避難とか早退させてもらえなかった。今考えても極端な人だった。同僚は2人いたが、一番最後に入った者がターゲットになるので、みんな同じ経験をしつつそれがいずれシフトしていく。が、私の場合は後に入ってくる人間がいなかったので、10か月間ターゲットのままだった。

そんなこんなのストレスのあまり、最後はなぜか自分の作った食事以外のものを食べると必ず直後にひどい下痢をするようになって、耳鳴りも頻発した。このままだと難聴になるかなーと思っていたが、結局ならなかった。

最後の最後は、その上司が「なんで杉山さんのコミュニケーションスキルがここまで低いのか、みんなで考えてあげましょう」というテーマでミーティングを開催してくれた。更に私はそこで(その時はまだ)苦手だった英語で自己批判させられ(文化大革命みたいなノリである)、拙い英語を笑われた。今考えると上司は上司で、私のできがあまりに悪いので好意から「気づき」のきっかけになるようにミーティングを開催してくれたのである。しかし当時の私にそれを受け止めるような余裕はなく、結果的に上司は水素ガスが充満した部屋でライターをつけた時のような惨事を引き起こした。私は翌日上司にたまりにたまったストレスを吐き出してケンカして辞めてしまったのである。逆に訴えるとか脅されて最後も大変だった。社会人としてあるまじき辞めかた。ただ、人間追い詰められるとどういう反応をするか自分でもわからないもんなんである。

その経験は私にとって大きなショックで、その後2ヶ月は家に引きこもっていた。そしてもうデスクワークはできないと思いつめて時給950円で近所の工場に軽作業のパートに出た。そこは上司がいなかったので適当に気楽に働けた。が、そこは暖房も冷房もなかったので半年で辞めた。

その後某大学に契約職員としてもぐり込んだ。が、上司がメンヘラ系不安定な人で、周囲から腫れ物のように扱われていた。私の役目は上司とその他の橋渡しみたいなものだった。しかし上司は自分がそこまで疎まれているとは知らず、「なんであんたが◯さんの仕事をやってるのよ? いいように使われてだめねぇ。しっかりしなさいよ」とか見当違いなことを言っていた。私は鈍重な顔をして流していたが、そのせいで更にバカ扱いされるという負のスパイラルからは最後まで抜け出せなかった。

メンヘラ系上司は異常に繊細だったので、「なんとかしてください」っていうのをメールに書くと怒った。それは命令形なので、目上の人間につかっていい言葉ではないんだそうである。一度は真顔で「あなたメールの書き方とか本当にわかってないから、一度ちゃんと学んだほうがいいわよ」とか言ってきて参った。自分がどんなひどいメールを書いているのか不安になって本まで買って読んだ。しかし後でなんとなくわかってきたが、そういう人は相手に嫌な思いをさせたくて、漠然としたことを言うのである。変なところがあればピンポイントで注意をすればいいだけの話。私だったらそうする。

まあ私もいい加減に仕事をしていたので、暇なくせにいい加減にやりやがってと上司に見抜かれていたのだろう。いずれにせよ、2人きりで働いていたこともあっていろいろ当たられた。

それでも仕事がなくて暇な職場で気に入っていたが、契約期間の延長とか絶対ないからという官製ワーキングプア量産型人材使い捨てシステムに嫌気がさし、早々に見切りをつけて次にいった。

次は小さな事務所で上司は3人いた。その3人が事務所を立ち上げたのだが、経営者が3人もいるのはよくない。誰も責任をとらないことが往々にしてあるし、社員は誰の言うことを聞いたらいいのかもわからない。

経営者がなあなあなのもあって、だんだん人間関係が悪くなっていった。そこで、試しに辞めると言ってみたら給料を一気に5万円くらい上げてもらえたので半年くらい我慢した。が、昇給後の給料をベースに雇ってくれるところがあったのであっさり転職。

その次の職場は完全ワンマン体制。社長は大きなコンプレックスと過剰な自意識のバランスがとれていない体育会系男子。営業力は抜群なのだが、内部の事務処理が追い付かずにミスが頻発していた。だから社長自身は業界の風雲児とかを自称してえらい勢いがよかったが、内部事情はポチョムキン状態だった。

そして社長のアクが強すぎて、エッジがきいていないおとなしい人間しか会社で生き残れなかった。またどこも同じだろうが、取り巻きだけが厚遇されていた。私は取り巻きになるほどプライドを捨てることもできず、中途半端なポジションで面従腹背をモットーにハードワークで社長の信頼を勝ち取った。が、残業代をけちられたりフェアな扱いをされているようには感じられなかったので、これ以上ここでは給料が上がらないだろうなというところまで昇給を勝ち取ってそれをベースに次に転職した。

でも一緒に働くのはその社長が一番楽しかった。彼の考え方や行動基準を大抵理解できたので、わりにツーカーでストレスなく働けたと思う。ただ、基本ケチで私が何でもできるからと人を雇わずギリギリの人数で働かせるとか納得がいかなかったので辞めた。私が辞めるとなったら社長はそのあと一気に3人を雇い入れたので、結果的に節約になっていない疑惑がある。

振り返ってみるとほんと色んな上司に仕えた。メンヘラ上司には面と向かって「バカ」とまで言われたが、それすらも今となっては笑い話である。それが次にわりとひどい状況になっても、それを乗り越えるための心の支えみたいなものになる。毎回の辛さが減るわけじゃないが、耐性はつく。

メルケル氏と同郷の上司のことは多分5年くらいは恨んでいたと思うが、さすがにそのあとは忘れてしまった。あの時の職場が居心地よければ、面白くもないのに勤め続けたと思うので、今考えればそこも辞めてよかった。人生ほんと塞翁が馬。慢心しても悲観してもダメで、どんな上司に当たってもなるべくぶれずに生きていくしかない、多分。